宇江武市長の 『日々是当日』

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help リーダーに追加 RSS 「勝ち組」はいったい誰に勝ったのか?

<<   作成日時 : 2006/07/26 22:42   >>

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「勝ち組」と「負け組」、かつては流行語として使われていたこの言葉も、今ではすっかり日常語になってしまった感がある。「負け」を宣告されるのは気分の良いことではないから、私もできることなら「勝ち組」に入りたいとは条件反射的に思っていたのだが、あらためて冷静に考えてみると、いったいこれは何の勝ち負けを決めるゲームなのだろうか?
そもそも、勝ち負けを決める/ゲームが成立するためには、いくつかの前提条件を満たす必要があるだろう。
まず第一に、そのゲームの勝ち負けを判定する方法、勝ち負けの定義がハッキリ決まっていることである。
先日までワールドカップで盛り上がったサッカーでいえば、「相手ゴールにボールを蹴り込んだ回数が多いほうが勝ちである」ということを、ゲームの参加者(やる人もみる人も)が共通して認識していなければ話にならない。仮に、「味方のゴールキーパーがキャッチしたボールの数が多い方が勝ちである」と思っている人が混じっていたら、サッカーというゲームは成立しないであろう(日本代表の成績はもう少し上がったかもしれないが…)。
第二には、勝つために許される手段/ルールの共通認識である。
同じくサッカーを例にとれば、「ボールを手で扱ってはいけない」「待ち伏せをしてはいけない(オフサイド)」「相手の体を蹴ってはいけない」などのルールであり、ルールを破った者には罰が加えられるのである。
前提条件の三番目は平等にルールが適用されるということで、特に参加者全員が同じ条件でゲームをスタートさせるということが重要である。キックオフから11人対3人の戦いでは勝負は目に見えているだろう。
そして最後に、何よりも根本的な前提条件は、ゲームには自由意志で参加するということである。
サッカーをやりたい人がサッカーをやり、野球をやりたい人は野球をやる。ピンポンをやりたい人もいるだろうし、将棋を指したい人もいるだろう。独り静かに読書をしたい人も少なくはないだろう。とにかく、誰かから強制されるのではなく、ゲームには自分の意志で参加する、ということが大大前提である。
かつて、極真空手の映画(「地上最強のカラテ」だったか?)に、“熊殺し”なる空手家が登場したことがある。ウィリー・ウィリアムスといって、アントニオ猪木とも戦ったことのある、本当に強くて素晴らしい空手家なのだが、映画の中で見せた熊との戦いには拍子抜けをした。熊の爪は抜いてあったのだろう思われるが、そんなことよりも何よりも、熊のほうには戦う気など全く感じられず、ウィリー選手の方が一方的に殴ったり蹴ったり仕掛けているだけだったからである。それならお前が対戦してみろと言われたら怖くて無理なのは勿論なのであるが、とにかく、勝ち負けを判定する以前の問題として、ゲームが成立する前提条件が満たされていないと感じたのである。
そして今、私は世間に向かって言いたい。
ヤル気のない熊に対して、“熊殺し”を名のってはならない!

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